おかざき義典について


生い立ち

●1974年8月8日、栃木県足利市にて岡崎家の次男として生を受ける。


●散歩をしていても自分の曲がりたい方向に行かなければ曲がるまで泣き止まない。欲しいおもちゃがあればおもちゃ屋の床にひっくり返って、買ってくれるまで泣き止まない困った子だったそうです。(お父さんお母さんごめんなさい)



少年時代

●キャプテン翼の影響をもろに受け、小学校4年生から大学までサッカーに明け暮れました。

●小学校の頃はいたずらっ子で、先生に最もひっぱたかれた生徒でした。

●小中学校のサッカー部メンバーとは上京しても南相馬に移り住んでも交流があり大切な友人ばかりです。


大学から南相馬市に来るまで

●物理学を学びたいと思い日本大学理工学部物理学科に入学しましたが、生活費を稼ぐためライブハウスでアルバイトをする中で、人を幸せにできるエンターテインメントの力に魅了され、ソニーミュージックグループ内の(株)アンティノスマネージメントマネージメントに就職。

●2000年に独立し、音楽事務所とインディーズレーベルを設立。

●2006年に10年以上担当したバンドの解散後、ミュージシャンや芸能人のマネージャー、コンサートやツアーの制作。

●2011年3月11日東日本大震災。陸前高田、大船渡、石巻など津波被害の大きかった地域のボランティア活動を行う。

●2011年11月から日本政策学校の第一期生として政治について学ぶ。

●日本政策学校の第1回目の講師としていらした前南相馬市長桜井勝延の話を聞き、南相馬市に行くことを決意。任期付職員の試験を受け2012年7月30日に南相馬市に移住。


南相馬市に移り住んでから現在まで

●南相馬市役所では文化スポーツ課(2012年8月1日~2014年3月31日)、総務課(2014年4月1日~2014年7月31日)に配属。

  

●平成25年4月より南相馬市消防団に加入。

 

●平成26年3月  相馬農業高等学校とみんな共和国で大豆を使ったアート作品でギネス世界記録に挑戦し認定。

 

●平成26年度から相馬野馬追に出陣。令和4年度は中ノ郷先頭軍者付組頭。

 

●平成26年11月 南相馬市議会議員選挙に立候補し当選。現在2期目。

 

●平成26年11月 NPO法人みんな共和国で「子育て応援カフェ37cafe@parkをオープン。(南相馬市原町区北原)

 

●平成28年6月25日平成28年度熊本地震に際し、小川町体育館にて「平成28年度熊本地震支援バザー」を主催。51万円以上を熊本の市民活動団体に届ける。

 

●令和元年度東日本台風では、災害ボランティアセンター開設期間21日間のうち17日間参加し、ガレキの撤去や床下の泥出し、家財の片付け等を行う。

 

新型コロナのワクチン接種においては、1,2回目のワクチン接種期間96日間のうち57日参加し、駐車場での車の誘導や入り口付近での車いす対応等を行う。

 

令和4年3月福島県沖地震では、災害ボランティアセンター開設期間27日間のうち24日間参加し、ガレキや家財の搬出等を行う。

 災害ボランティアセンター閉鎖後は被災者生活支援ボランティアとして、引き続き家財等の搬出をお手伝い。5月には高所作業車の操作資格を取得し、屋根のブルーシート張り作業にも加わる。

 

近年の活動

 (常任委員会)

 建設経済常任委員会副委員長(平成 30 12 月~令和 2  11 月)

 文教福祉常任委員会(令和 2  12 月~令和 4 年 11 月)

(特別委員会)

 広報特別委員会委員長(平成 30  12 月~令和 4 年 11 月)

 議会改革検討特別委員会(平成 30  12 月~令和 4 年 11 月)

 新庁舎建設特別委員会(令和 2  12 月~令和 4 年 11 月)

 東日本大震災・原子力災害復旧復興調査特別委員会

 

(その他市民活動等)

NPO法人みんな共和国理事

 南相馬市消防団小高区団第一分団第一部

 南相馬市少年野球連盟事務局長

 スポーツ少年団「野馬追ランニング」指導員

 南相馬市ふるさと回帰支援センター移住情報企画部会長

 救急ボランティア E.S.P.Odaka

 子育てシェア「AsMama」認定シェア・コンシェルジュ

 南相馬市ファミリーサポートセンター「まかせて会員」